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一.運命について
1.運命の実相
(1) <人凡て運命に喜び運命に泣く>
人はみな自分の運命について一喜一憂します。しかも自分のまわりに展開している出来事に対する喜びや悲しみよりも、自分の存在に対する評価による喜憂感情ですから深刻です。
(2) <世に知ること多しといえども 運命の如何なるかを知るより大なるはなし>
世間では、運命と言えば諦めの代名詞のように使われていますが、諦めたのでは何も生まれません。よくよく運命の意味を考えてみましょう。運命とは読んで字の如く、生命(いのち)の運行のことで、過去から現在へ、そし現在から未来への人生の流れを総合的に評価してはじめて自分自身の運命を知ることができます。
ですから、「何故不幸になったのか」と過去の原因を探り「いかにすれば幸福になれるか」と未来への方向を見いだし、現在の在り方を考える、きめつけない柔軟でしなやかな運命観を持ちたいものです。
そのためには、人間の運命はどのようなものであるかを知り、自分の歩いている運命を客観視して、運命を開拓する智慧をみにつけなければなりません。これこそが人生の一大事であって、それ以外は運命の認識にくらべたら小さなことです。
(3) <運命というものは心ある処 生活のある処に於ける主観感情に対して
自ら我を客観的に自己批判する処自ら決定される>
自分の幸、不幸は、そのまっただ中に居て喜憂感情のあふれているときはわからないものです。
自分を客観視して自己批判し、ある何ものかの吉凶禍福の支配を感じた時、自分の運命を考えさせられます。
運命とは、結果として現象している事柄のみでなく、そこに至る流れや原因、つまり因縁果報のすべてに対する概念です。
わかり易く言えば「なぜ私はこんな目にばかり遭うのだろうか」と自己批判する処に運命意識が起こります。
(4) <運命は天気天候に似たり><運命は浮雲に似て淋し>
運命の運とは流動するとの意味でもあり、人生の栄枯盛衰、千変万化のさまに運命の不可思議さがあります。
何事も結論を出すのは早すぎる、今不幸だからと言って明日も不幸であるとは限らない。これは幸福に対しても言えます。
実は運命が流動しているのではなく、人間自身が不安定なのです。しかも主観感情を出すのは早すぎます。
(5) <運命論−厭世観、楽天観、改善観>
自分の不幸な運命にあまりに厭世(えんせい)的になり、苦しみから逃げだしたのでは何の解決も得られません。また一方、幸福だからと言って楽天的にかまえていると、どんな落とし穴が待っているかわからないのが人生です。やはり運命の前における態度は、常に改善観をもって開拓精神を旺盛に事に臨みたいものです。
>>>>> 次回は、「一.運命について 2.運命の理法」です。 >>>>>
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