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二.生命について
3.生命と新陳代謝
(1) <今と時を知る人を悟りの人と言う>
空間次元の存在は物体などのように五感でとらえることが出来るので認識の対象となり易い。しかし時間次元は常に流動しているのでとらえ難く、しかも時間は主観によって短くも長くも感じられます。
例えば「ここからあの木までどの位あるか」と問えば、皆、だいたい同じように答えを出すでしょう。しかし「今から目を閉じて、五分たったと思ったら目を開けて下さい」と実験してみると、それは人によってまちまちです。
つまり時間というのは主観性の強い次元であります。時は永遠に同じリズムを刻んでいるでありましょうが、それをとらえる心は不規則です。ですから物事を自分なりに把握しているつもりでも、客観と言う計りにかけると、事実とはほど遠いものになる場合が多いのです。
したがって物事は新陳代謝し流転しているものであると認識し、純粋なる今を悟り、こだわりと執着のない精神をきずきあげていきたいものです。
(2) <時は生命の本源にして 時を生かし得る者のみ生命を得>
こんな話を聞いた事がありますか。宇宙のかなたにスペースシャトルなどで行き、宇宙基地に一年でも過ごし地球に帰還すると地球上と宇宙のかなたでは時の長さに違いがあり、未来の世界になっていると言うのが論理上は考えられるそうです。
その逆に過去の世界にもどっていたと言うのも考えられるかも知れません。
つまり時が違えば生命の長さも違ってくるわけで、時が生命を支配しているのです。
時に逆らうことはできません。過ぎた時は決してもどってこないし、未来はあくまで未来です。この「時」の真実を認識し、「今」と言う刹那の時を大事に、全精神を集中し、時を生かす者のみが、生命力の十全な発揮ができるのです。
幸せの時を過去に探すか、未来に期待するか、それとも「今」に発見するべきか、言うまでもなく「今」のこの時を生かさずしては幸せの時はありません。
(3) <時の流れと水の流れと生命の流れは異にして一つなり
然るに汝の心は共に流れず不自然の道を辿りて泣けり
汝今日より自然に生き自然を楽しめ>
自然と言うのは、単に山野や樹木、小鳥のさえずり、そよぐ風のことばかりではありません。時のリズミカルな流れも自然と言います。
一つの事柄に執着し、時の変化流転を無視しているのは全く不自然です。新陳代謝の法則にのっとって、今、今を大切に生きることこそ自然な生き方です。しかも今を楽しめたら言うことはありません。
(4) <囚われる者は常に我が生命を脅かす>
事理事情にかかわらず、囚われれば気が滅入り、心がよどみます。どんなに自分が正しくても、生命の中に流れる自然の法則は囚われることを許してはくれません。苦しみが身をさいなんでしまいます。
(5) <食物口より入り胃に納まり腸に下りて汝の血骨と化し
不要物は肛門より排泄されて生きるが如くあれ>
<人の心汝の耳目より入り汝の理解の心に納まり
よく理解消化されて汝の生命と化し
不要の念は排出されてこそ汝の生涯や楽し>
全面的に受容し、しかも正しく受け入れるというのはなかなか難しいものです。それと同じように不要物を排出するのも決して容易ではありません。覚える訓練も必要ですが、忘れる訓練も必要です。忘れるには他の物事に夢中になっていると今までの事への執着が消えます。つまり気の転換もって新しい事に集中すれば、自然に忘れられるものではないでしょうか。
そして忘れて捨てるべき不要の念かどうかの判断は自分の本心に聞けば、心の拒否反応にようて明らかになります。常に心機一転、こだわり執着している不要の念を排出しましょう。
(6) <呼吸汝に生命を与うるが如く 汝今日より呼吸の道を守りて人生を楽しめ>
呼とは呼ぶこと出すことで、吸とは吸うこと入れることです。そして呼吸は必要物を吸い不要物を出す自然の営みです。
これを精神機龍や人間関係に当てはめてみれば、呼とは言うことで、吸とは聞くことです。しかして呼吸が人間の生命と直結しているように、言うと聞くとの呼吸関係が人間生活では非常に大切です。よく「呼吸が合わない」と言いますが、人間関係では精神的呼吸を合わせ、言うと聞くとをリズミカルにしなければなりません。この呼吸のわざで生命が新陳代謝されているように言うと聞くとが心の新陳代謝の要です。
気の切り替えは自分の心の中だけで行うものではなく、人間関係の場での債極的な切り替えが肝心です。
(7) <絃に妙音あり曲終われば則ち止む 鏡に蓄形なし
故によくよく過去の出来事にこだわらず常に新たなる道を行け
神の喜びこれに過ぐるものなく 神の救いやこの時こそ注がれん>
絃は糸のような物にすぎないけれど、名手にかかれば妙なる音がかなでられ、鏡もガラスに過ぎないがあらゆる像を映し出します。人間の心も絃や鏡のようにさまざまな音や形の世界を奏で映し出すものです。
全くもって即座即決、さらに絃の妙音は曲終われば即座に止み、鏡に蓄形(残像)が残ることはありません。しかし人間の心は過去・現在・未来が二重三重の音や映像となって重なり千々に乱れてしまいます。常に時の流れとともに新陳代謝しなければ真実を見ることはできません。この新陳代謝の処にこそ神の救いが注がれるのです。
(8) <新陳に向かい代謝の道を守りて善に居れ
凡ての人に喜ばれその生涯や必ずや楽し>
そもそも「新陳」とは、新しきものがつらなりならぶ、しかも新は無限であり無量であり、さらに新は古いものの為に存し、古いものを新たにする為のものであります。
さらに「新陳代謝」とは、古いものが去って新らしいものと入れ代わり新しくなる事、止む事なく古いものがすがたを消して新しきすがたを現す天地宇宙の大自然作用の事です。
この新陳代謝の作用こそ愛の万有引力作用とともに時間空間の法則となって生命を産霊(うみ)、生成発展せしめる原動力であります。いわゆる愛をもってつながり、新陳代謝もって常に新に向かって生命をのばすところにその本然のすがたがあるのです。
この真理を身につけるには「今」と言う時の大切さに目覚め、気の切り替え、心の切り替えを早くし、行動そのものを常に新たな方向へ切り替えてゆく心と生活の訓練が必要です。ここに信仰修行を積む真のねらいがあるのです。
>>>>> 次回は、「二.生命について 4.生命と縁」です。 >>>>>
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