善隣教 
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今月の言葉
みおしえ
 10.人生の喘ぎと
    神の喘ぎ

<バックナンバー>
一.運命について
 1.運命の実相
 2.運命の理法
 3.心と運命
 4.生活と運命
 5.病と運命
二.生命について
 1.生命の業
 2.生命と愛
 3.生命と新陳代謝
 4.生命と縁
三.人生について
 1.人生の目的
 2.人生の価値
四.信仰について
 1.信仰の本質
 2.神と人
 3.信仰生活
五.みうた
 1.親心
 2.家族
 3.病
 4.善隣信仰
 5.人生
六.箴言
 1.心もよう
 2.処 世
みおしえ
 1.運命転換の道
 2.己に願う
 3.喜びは生命の糧
 4.心身のいとなみ
 5.慈悲と慈愛
 6.明暗と喜悲
 7.おかげと帰依
 8.人生の謎 
 9.神の説き給う道
 
二.生命について

4.生命と縁

(1) <家族とは 血縁に依て結ばれ生活をする者の集まり関係
    婚姻及び結婚等に依り夫婦となる社会構成の単位
     夫婦親子が一家の一員となりそれぞれの本分に立脚して家を興し家を建て
      その存続を扶け 一家繁栄に力を注ぎ合う間柄>

 人間に手がかりがなくては生きてゆけません。その生きる手がかりこそ家族です。血のつながりとさまざまな縁に依て結ばれともに生活を営み、何よりも苦楽を分け合うて生きてゆく間柄こそ家族であります。
 生きてゆくためには働き、食って行かねばなりません。しかしそれだけが人生でしょうか。望みの物を手に入れ、いかな勝利の美酒に酔うたところで、それを分け合う相手がなく、孤独をなめなければならないなら、本当の幸福はそこにはありません。
 夫婦親子そして家族それぞれが、らしさを発揮して、互いに思いやりの情を通わせ合い、一丸となって一家繁栄をきずき、そしてそれを万劫末代へ伝承する、そこに家族本来の役割があるのです。

(2) <夫婦の縁は神業なり 親子の縁も神業なり
    この神業に反逆し夫婦の繁り親子の繁りを粗雑にする者には
     不幸病気の絶ゆる事なし>

 一家はまず夫婦から新たな出発をします。この夫婦の間柄は合理的には理解しにくい、ある不可思議な縁で結ばれています。縁とはめぐりあわせのことで、めぐりあわせが一つ違っておれば永遠に会うことも、まして夫婦として人生を偕にすることもないでありましょう。しかして夫婦の縁は人間業を超えた神業がはたらいているのです。そして夫婦の愛の業により誕生する一個の生命、この親子の間柄もまた神業による縁です。この縁(えにし)こそが本当の生きる手がかりなのに、これをささいな事情で感情に走り夫婦親子の繁りを粗雑にした自業自得の結果が、不幸病気の実態であります。あらためて夫婦親子の縁に神業を発見したいものです。

(3) <神は直接汝の妻を愛し給わず
    神は直接汝等夫を愛していとしき妻を愛させ給う
     故に汝等常に神の身代わりとなり神に代わりて妻をいたわれ
      汝も妻も共に神に守られん>

 愛は情をもってはじめて伝わるものです。神の愛がいかに広大無辺であっても、身近な情にふれなければその愛を理解することは出来ません。
 そして、「愛欲」との言葉があるように、自己の満足のために相手を求めるという欲望のはけ口としての愛に陥る場合があります。そうでなくて夫婦愛の本質に目覚め、神の身代わりとして無償の愛に徹し、あくまで慈悲心のあふれる夫婦愛を実践したいものです。

(4) <父の愛は縦の愛 母の愛は横の愛
    この縦の愛と横の愛の十字愛の交差する処を広き子供の遊び場とする親は
     我が子を育てるに苦なし>

 父親の愛は厳しく、永い人生を生き抜いてゆく生活力、生命力を養ってくれ、母親の愛は優しくその時々の人間関係の在り方を身を持って示してくれます。<父は照り 母は抱きて悲しめば変わる心と子や思うらん>と歌われているように、厳父の愛、慈母の愛のうまく調和された両親の十字愛の中で子供の魂はより人間らしく愛育されてゆくのです。
 それがためには父母、つまり夫婦がしっかりつながっておらねばなりません。

(5) <親の一生は我が子に対する愛情の歴史なり>

 自分だけの人生ならば自儘勝手に生きるのも良いでしょう、しかしいったん親となればそれはゆるされません。その生き方がそのまま子供に反映するからです。また子供にとって親の紆余曲折の人生の一つ一つの足跡は、すべて子供のために身を削ってくれた愛情の歴史なのです。心したいものです。

(6) <兄弟内に闘えど外にその悔(かい)を欒(つな)ぐはこれ兄弟の情なり
    兄弟はこれ天の授け給う最良の友なり
     如何なる距離も如何なる事情も兄弟の血縁を切る事を得ず>

 兄弟というものはいかに相争っていても、外からくやしい思いをさせられるといつの間にやら、仲良く手をたずさえて外敵と闘っています。ここに兄弟愛の不思議さがあります。
 闘いつついたわり合いつつ生きてゆかねばならぬ因縁をもっているのが兄弟の間柄です。成長しそれぞれ独立し一家を構えていても、年老いてたよれるものは結局、血縁の兄弟です。それなのに徹底的に切れてしまう兄弟があるのは悲しいことです。

(7) <汝母達よ 子供に泣かされる母の悲しみより逃れんとする勿れ
    これ成長期に於ける 当然の現象であり
     これこそ汝の子供たりし頃の報いなり如何に子供に泣かされるとも
      これを苦しき楽しみなりと自覚し
       無条件に子供達を愛して母の誠を我が子に献げよ
        よき子の育たざるなし  かくありてこそ 神の慈愛や注がれん>

 因果の理法を知りぬいていると、いかな苦しみでも、当然のこととしてその運命を受け入れることができます。
 親の歩いて来た人生の道のりを、そのまま歩いている子供の姿から、因果応報を悟り、苦しき中にあっても悪因の改善を楽しみとして、母として深き情愛をつらぬいてゆくところに、神の慈愛、神のご加護を授かり、よき子を育てることができるのです。

(8) <神の御霊を尊奉するが如く
    神の御霊を夫と妻との中間に奉る者は夫婦生活の正しくして必ず
     神の守りあり 助けあり>

 同じ出来事でも夫は男としての見方、妻は女としての見方を善だと信じて、互いに自己主張をゆずらなければ、何が正しいのかわかりません。こんな時、神の御霊を尊奉する心で、夫婦ともども神のみ心にしたがえば、真実の道を見いだすことができます。つまり偕に祈る心のつながりこそ夫婦愛の根本なのです。真の信仰を身につけましょう。

(9) <家庭は人生の道場なり この道場に於て及第するか落第するかに依て
    その人の生渡の運命や決まる>

 このみおしえに続いて<人間の人格は夫婦 親子 家庭 家族の日常生活の中に於て 最もありのままのすがたを現す>とありますが、互いに自我をむき出しにする間柄であればこそ、さまざまなトラブルにも遭遇します。この家庭を人生の道場と心得て、人格の裏も表もともに受容し合い、生命を生かし合う縁を大切にしてそしてゆくところに、運命開拓の道があるのです。
 善隣の道、実践の原動力はこのように家庭を道場とまで考えての努力精進から湧いて来ます。

 >>>>> 次回は、「三.人生について 1.人生の目的」です。 >>>>>