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五.みうた
2.家族
(1) <親と子がにらみ合いして家乱れ 病の床につくぞ憐さ>
骨肉の争い、まして親子がにらみ合う、これは悲劇の最たるものです。それは何故かというと、子供にとって親は自己の存在の源であり、親にとって子供は自己の存在の延長(永遠)だからです。どうしても互いに独立した尊厳な人格をもった存在であることがわからず、激しく自我をぶつけ合ってしまいます。それだけに親子の争いから生じる悩みは深く、家は乱れ病の床にまでついてしまうわけです。憐なものです。
(2) <お早ようの声の聞かるる其の家は 常に明るく楽しかるらん>
<こんばんわ はいこんばんわと共々に 心打ち解け暮らせ世の人>
人間という文字は人と人の間(あいだ)に生きるという意味がありますが、さらに人との間(あいだ)には間(ま)が必要であるとの意味でもあります。
親と子が、夫と妻と兄弟が互いに尊敬し合って礼節を重んじ、それでいてザックバランな遠慮の無い間柄にある、これが理想でしょう。それがためには少しは改まって
「○○さんお早ようございます」と礼を忘れず、しかも徴笑(ほほえみ)をたたえて打ち解け合いたいものです。このような家にこそ御神尊(かみ)より真実(まこと)のしあわせがもたらされるのです。
(3) <親と子と夫と妻と朝夕に 仲良く暮らす家は栄えん>
親子夫婦が仲良くする。このごく当たり前のことが運命開拓のいちばんの鍵です。すばらしい説法も、厳しい修法も、まずは親子夫婦仲良くするためにこそなされねばなりません。
朝は朝星、夜は夜星と働いても、親子夫婦の睦み合う時間をおしんでは家は栄えません。平凡なところから実行に移したいものです。
(4) <二世三世誓いし昔を忘れずに 愛し愛され暮らせ世の人>
大恋愛で結ばれた夫婦でも時がたてば感情の食い違いでギクシャクすることも多いものです。しかし、いやいや結婚した二人でも互いにいたわりあい努力して行くうちには円満な夫婦になります。
要は二世三世を神に誓ったことを忘れず、常に「夫婦円満」を信条として理解と愛の誠をつらぬくことです。
(5) <嫁を取り暮らしてみればこはいかに 嫁の心のそらおそろしきかな>
<嫁に行き暮らしてみればこはいかに 夫の心のそらおそろしきかな>
家庭生活とは飽くまで現実です。人間には表もあれば裏もあります。夫婦愛は互いの裏の面を知った時から本物になります。
お互いの育ちや性格そして価値観の相違などを理解し、受容し、思いやりと愛念を高めあっていくところに真実の夫婦愛があるのです。
(6) <憐なる我が子のすがた見る毎に 涙のこぼる親心かな>
親は子供をわが身体のごとく思うものです。子供の不幸なすがたを見るたびに、親は子供の育て方を誤った身の不徳に責めさいなまされます。
子供に泣かされ、己が過去に泣かされ、それでも親は生命(いのち)がけで子供を幸せにしようと祈り続けるのです。
>>>>> 次回は、「五.みうた 3.病」です。 >>>>>
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