|
みおしえ
6.明暗と喜悲
<合えば明るく 離るれば暗し 合えば嬉しく 離るれば悲し>
善隣の教えには、人間本来罪人(つみびと)だという考え方はありません。つまり善隣の道の人間観は性悪説でなく性善説で成り立っているわけですが、御神尊様は、人間にあるものは悪ではなくて、善を見失い、善から外れる“迷いのみ”とお説きくださっています。
そして、その迷いの因(もと)は暗い心と暗い生活にあるとして、<暗きが故に迷い 迷うが故に悩み 悩むが故に病み 病むが故に死す>と喝破され、すべての運命の根本は光明の道を行くか、無明の道を行くかによって決まることを明らかにしておられます。
これを、わかり易く申し上げると、喜びと笑顔の生活によって人間の悩みは解ける、悩みが解決しさえすれば、自ずと不幸は幸せに、病気は健康へと運命は開けていく。だから、明るい心で楽しい生活をすれば、人間誰しも生きがいある人生をおくり長寿を全うすることができるということです。
このような善隣の道の理念にもとづいて、どうすれば人間は明るく生きられるのか、また何故に暗い生活をしなければならないのか、その肝心かなめを解き明かされているのか、ここに掲げる<合えば明るく離るれば暗し>の<みおしえ>であります。
この<みおしえ>には、陰陽の法則を通して善隣の道の教理の根幹が教え示されているのです。
善隣の道では、常に、心の使い方と人間関係(生活)の改善がつよく叫ばれていますが、それはすべて陰陽の法則に基づくものであります。
そもそも宇宙には父の心である陽と、母の心である陰とが流れており、この陰陽が縁(えにし)によって妙合され、そのワザによって生命が生まれています。
無論、それは人間の生命だけでなく天地宇宙の万物すべてにこの陰陽の法則がはたらいて、あらゆる生命が生まれているのです。
要するに陰陽が合致することによって新しい生命が誕生している・・その陰陽の法則にしたがって自他びったりと合わせていけば身も心も明るく迷いの生ずる余地はない、だから不幸病気になる気づかいもないというわけです。
自分と他人の間には共通の部分もあるがさまざまな違いもあります。
派が合わぬというか、どうしてもしっくりいかないいわば水と油のように溶け合うことのない相手もいます。
こういう全く異質の者同士が、対立することなく、お互いに相手を思いやるいたわりと理解の心で合わせていこうと努力すれば、そこにはかならず一心一体になれる道が開けます。
本来合うはずのない火と水も鍋などの器を用いて、火の熱を加えればやがて水はたぎって有用なお湯となる・・そのようにたとえ反対の性を持つものも合わせればかならず合うのです。
ですから、初めから合わないとあきらめることなく、あくまで合わせるよう努力する・・そうすれば容易に、苦しみの中に新しい喜びを生み出すことができます。
この道理を通して御神尊様は、人間関係に愛あれば常に明るく嬉しく、愛を失って対立すればそこに悲劇が生まれるとお論したまわっているのです。
“夫婦”・・これが陰陽の原点ですが、夫婦がお互いに愛し合っている時は常に明るく楽しく、共に喜びも悲しみも分かち合って暮らすのでどんな苦難に遭遇しても苦しみを喜びに変えていくことができます。
夫婦の仲にはこんなすばらしいカがそなわっているのです。
しかし、それも愛あればこそで、いったん愛を失えばこんな悲惨なことはありません。きのうまでのおしどり夫婦がたちまちにしてこの世で最も憎み合う存在に一変することもあるからです。
夫婦にしてこの有り様だから親子の仲もうまくかみ合わぬことが多い。なるほど親は、命に代えてもと子どものことを思い、深く愛してもいるのだけど、子どもにとってその愛は、自立し、独立しようとするときのお荷物になる。あるいは重荷と感じて親元から離れる困(もと)にもなる。
子どもにしてみれば、親は常にりっばな親であって欲しい。だから常に夫婦仲よくしてもらいたいと願っている。が、親も人間だからさまざまな過ちをする。そのうらみつらみが溜って子どもが親から離反していく。直接に血のつながった親子といえどもこのとおり。親の中には、子どもを私有物と思い、地獄に突き落したり中にはわが子を抹殺するものもいる。
このように、親子の仲ですらなかなかうまくいかないもの。それが兄弟姉妹となれば、これはもう合わせるどころか人生における最初のライバルである。常に一様のあつかいを受けたいとの親に対する欲求から対立する。
つまり嫉妬や反感の初めの対象となるのは身近なきょうだい同士。だからいっしょに育つ頃から成人の後までさまざまな葛藤を描くことになる。嫁姑の仲となるとこれはもう多くを語る必要はないでしょう。
こうした離ればなれの人間関係の中に生ずる不協和音は、すべて愛の欠如によること言うまでもありません。
愛があれば相手の欠点が美点に見えてくる。すると、よくしたもので、足りないところはお互いに補い合い、いたわり合い、なぐさめ合い、そして理解し合うことができるようになります。
対立した合わない心を合わせていくのが愛です。したがって愛を持ってすべての人と合わせていけば、自ら無明の世界から光明の世界へとみちびかれるのです。
愛の生活によって光が射し、喜びと笑顔が湧いてくれば、その光が行く手を照らすので自ら人間としての歩むべき道が見えてきます。
歩むべき道が見えれば悩みは消え、悩みが消えれば不幸、病気の跡形もなくなり、そこには自ら幸福健康が生まれることになっています。
愛ある光明の生活から人生の生きがいが生まれる。つまり“合えば明るく”とあるとおり、愛は人と人とが合わせて喜びを生むカギです。
愛と喜びこそ幸せの源泉であると御神尊様はこの<みおしえ>でお示したまわっています。
そして、この愛と喜びを養う心身の錬磨・・その修法に「一心妙合ともすがり」という秘術が行われています。
人と合わせて常に明るく、古きを去って常に喜ぶ、そういう人間に生まれ変わる修法・・これを「新陳代謝ながいき法」と言います。
今こそ私たちは、<合えば明るく楽しく 離るれば暗く悲し>のみおしえを胸にきざんで修法を積み、人間的に生まれ変わって大いなる善隣の道の実践者となりましょう。
>>>>> 次回は、「みおしえ 7.おかげと帰依」です。 >>>>>
|
|