|
六.箴言
1.心もよう
(1) <不平不満は反省なき人の心より起こる>
<反省とは己が心で己が心を解剖する事なり>
不平不満が心のバランスをくずし、その結果さまざまな不幸が現れます。このことはある程度わかってはいても、不平不満に囚われている時はその事柄のみが原因であるかのように思い込んでしまいます。本当は自分自身の欲求が強すぎて、それが不平不満となっているのです。 ですから欲求水準を下げると不平不満も柔らいでまいります。
そのためには己が心をよくよく省みるすなおさが大切です。
(2) <自己の魂まで売って世に生きんとするは苦の元なり>
ここに示される魂とは、自分を自分らしくさせている神性のことで、それをたとえ生きるためとは言え、曲げたり捨てたりしてしまうから、自責の念にかられ、結局苦しみが増大するのです。ただ単に生きるだけならば動物と何ら変わるところはありません。人間は人間としての神性に目覚め、どんなに苦しくとも人間らしく生きる、ここにこそ真実の幸福があるのです。
(3) <嘘は不安の基 嘘は自ら信を失う 嘘は短命の基>
嘘には常に見破られはせぬかという不安があり、嘘をついている自分に自信がもてなくなってさらに次なる嘘を生み、不安と不信で命をちぢめることになります。勇気をもって真実をつらぬきたいものです。
(4) <嫉妬は心の敵 虚栄は破滅の基>
嫉妬とは人の幸せをねたむ心と、いつも相手の関心が自分の方に向いていないと満足できない心のことで、実に自分中心です。これでは心をやすらかに保つことはできません。そして虚栄は常に実際以上に見せようとする心で、内容のともなわない虚飾にいつも身をやつすことになります。
その結果自ら身を滅ぼしてしまうのです。
嫉妬と虚栄はその心の在り様としては最低であるといわざるを得ません。決して完全でない人間の営みには成功もあれば不成功もありましょう。しかし、そのたびに嫉妬したり、虚栄をはったりするような魂を愚劣にすることだけしたくないものです。
(5) <あなたは誰かを許して居ないでしょう>
ギクッとする箴言です。人の過ちを心から許せる人はまことにすばらしい魂の持ち主です。
人生は常に進行中であり、今日の過ちが明日も続くとは限りません。さらに過ちは人間と人間のからみの中から発生いたします。当人はもちろん自らに過ちがあることを認識すべきでしょうが、客観的に見れば過ちも相対的です。しかしてその過ちを現在だけその人だけ見て判断するのは間違いで、一切を許す心で臨んでこそ運命的にも幸福な人生を送ることができます。
誰かを許していない人は、長く広い視野に立って心から許し、人生をゆたかに生き抜きましょう。
(6) <人生は躊躇なり>
人生はわかればわかる程多面的で、何が正しいのか判断に苦しみます。しかも立場によっては全く逆の見方もある訳ですから、躊躇をおぼえるのは当然なことです。考えようによってはやさしい心のなせる業と言えましょう。誰もきずつけたくないからこそためらうわけです。この躊躇を超えるには一切を御神尊にゆだねて決断することです。
(7) <良心は神の声なり>
文字以前に言葉があり、その前に声があり音があります。そしてその奥に霊を見ることができます。しかして音や声のひびきの同じ言葉は同じ意味を持っている場合があります。これが言霊です。例えば神(シン)は親(シン)に通じ、真(シン)にも通します。そして両親(リョウシン)は良心(リョウシン)につながりその慈厳の愛によって良心が培われ、親心そのものである神心となって内なる心にひびきわたるのです。
>>>>> 次回は、「六.箴言 2.処世」です。 >>>>>
|
|