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みおしえ
1.運命転換の道
<毎日の三善>
命がけのきびしい二十年の御行によって人間運命の実態を究め、真相を解き明かされた御神尊様は、立教以来 “人間かくあれば、かくなる” との救いの実証をお示しくださいました。
その救いに至る道すじ、つまり運命のとびらを開くカギがこの「毎日の三善」の御教えであります。
<汝等今日より毎日の三善を実践して生活を楽しめ 永遠神の救いやあらん>
人生には絶対に踏み行うべき道があります。即ちこれが毎日実践、せねばならぬ三つの善です。その三善の何たるかを悟り日常生活の中で実践しさえすれば、三善にこめられている真理(神のこころ)とあなたの信仰の誠の妙合により、永遠永劫の救いを授かることになっていま す。但し毎日の三善を身につけるには、それ以前に一つの扉が開かれていなければなりません。善隣への道しるべとして先ず開かねばならないのは心の扉・・それが運命の正しい認識なのです。
<人間にはそれぞれ運命がある その運命を幸せにするか不幸にするかは
自らの生き方を善くするか悪くするかによって決まる>
ひと口に運命といいますが運命とは不可解なもの。しかし善隣の道(おしえ)を聞けば、運命は我が心(意志)我が行動(生活)がつくり出すものであることを知ることができます。
たとえば、あなたが今手に持っているものを右へ投げるとどこへ落ちるか、大体見当がつくはずです。この投げるということが人生における生き方にほかならない。
つまりあなたの生活が悪の方向に向かっておれば、結果として不幸・病気という運命が現れるようにきまっています。だから幸福・健康への運命の転換を願うなら、祈るより拝むより先ず善に向かって生きて行かねばなりません。善なる生き方のところにはかならず善果がもたらされるからです。
<毎日の三善の如何(いか)なるかを弁(わきま)え
その生き方を善(よ)くする者にはかならず神の守りあり>
善隣の道の根本はあくまで、心の使い方、生活の仕方を三善に向け、自らを変えていくところにありますが、心と生活の改善ができれば運命は立ちどころに転換し、そこに即決即座の救いが生まれて来るのです。
つまり心は運命の製造所であるとの真理にもとづいて、いかなる結果をも生じるのです。
では、肝心の毎日の三善とは・・・
<毎日の三善
@喜びと笑顔の生活をするは善の第一なり
A和解和合で日常生活を和(なご)やかにするは善の第二なり
B祈る心で毎日の精神状態を穏やかに楽しくするは善の第三なり>
以上三つです。
善の第一、喜びと笑顔の生活がどんなに大切であるかは言うまでもありません。真理は平凡なところにあり・・で、ごく当たり前の事を当たり前に実践することで幸せへの道が開ける。それは生活行為そのものが自然の道理に適っていればこそです。
恰好(かっこう)だけの善、報いを求めようという下心のある見てくれだけの善、それは不自然だから神はお認めにならないのです。何ものをも求めず誰に対しても心をひらいて、喜びと笑顔で気安く接する人、つまり姿をみただけで親しみをおぼえるような生活をしている人は、神に認められる最高の善に生きているといえるわけです。
こういう人が和解和合の日常生活をする第二の善の実践者ともなれるのです。
語り合い、譲り合い、一つ心に溶け合う生活のところに幸福健康が生まれる。その幸福健康へ捧げる感謝の念は必ず祈る心にまで高まるものです。
この祈る心でいつも精神状態を穏やかに保つことができれば、生きていることがいっそう楽しくなり、ひとりでに善の第三は実践されてまいります。
つまり、<生きていると思うは愚かなり 生かされていると思うぞ誠なり>・・この御教えに示されるような生命の真実を感謝すれば、人さまに手を合わせずにはおれなくなるのです。
夫のおかげ、妻のおかげ、親のおかげ、子のおかげ、そしてすべての人のおかげと感謝して祈れば、そこにあなたの心と神の心の不可思議な妙合のカがはたらいて、運命は明るい方へ展開してゆきます。
このように、喜びと笑顔を絶やさず、和解和合につとめ、祈る心で感謝の日暮らしをすれば運命はかならず開拓される。だから、善隣の道に生きるものは、先ず毎日の三善の御教えをしっかりと身につけて頂かねばなりません。
<愛されざるも憐なれど 愛する能わざるは更に憐なり>
人に愛されないということはさびしく悲しいことです。しかし、人を心から愛することのできないことほど憐でかじめなことはみりません。
人生のよろこびは財にめぐまれることでもなければ、地位を得ることでもなく、人を愛し、人から愛されることであります。
わけても、心の底から人を愛することのできる温かい魂の持ち主になればこれが人生最高のよろこびであります。
「求愛より施愛に生きよ」の教えは、求める愛より施す愛、つまり他を愛することのよろこびを身につけよ・・ということです。
その意味では、あなたの身にあらわれる不幸病気は、むしろ施愛の念を肥やすもとになっているとも言えます。
したがって、いたずらに身の不運を嘆きかなしむことなく、天地一切一心正念の祈りで神の愛を存分にちょうだいし、敬神崇祖の念を高めつつ、亨(う)けたる愛を他にお裾分けする。つまり施愛に徹して三善の実践に励めば、あなたの運命はけっして暗くかげることはありえません。
<汝等今日より三善の生活を忘れず 三善三善で生涯を楽しめ>
三善の実践を毎日の信仰行として神につながり、存分に幸せな人生を楽しめとて御神尊より次の<みうた>をたまわっています。
前向きに いつも明るく 和(なご)やかに
御神尊(かみ)に祈りて ともに幸せ
>>>>> 次回は、「みおしえ 2.己に願う」です。 >>>>>
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