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一.運命について
5.病と運命
(1) <人間すべて病人である 病気とは精神上の中心を失い
日常生活や乱れて人間らしさの失われた状態をいう>
宗教にとって病気治しは、救いの基本です。ただし、人間の総合的な病気を治癒せずしては本質にかなった救いとは言えません。
いわゆる肉体上に現象した病気にのみに救いの手をさしのべるのではなく、精神と生活の異常状態を正常にもどすところまでいってこそ、揺るぎない救いが確立するのです。
つまり色々な事情の中で葛藤し、精神のバランスを失い、感情に走ったり、悲哀の念に囚われたりしている、まさに精神の中心を失っている状態が病気です。そして日常生活の人間関係から思いやりが失われ、憎み咎めに明け暮れる姿、これこそ病気そのものであります。
以上の病気に対する正しい認識と「われ病人なり」の病者の自覚を持って御神尊に救いを求めるところに真の宗教道があります。
(2) <健康を求むるより善人たらん事に努めよ>
善隣の道における病気に対する考えは「きづかせ」であり、より善人ならしめんがために御神尊(かみ)のご慈悲により賜ったものである、とより前向きに受けとめます。
すべてに優先して善人たらん事に努力する・・この自覚を確り固めてこそ真の健康が約束されます。健全なる肉体も大切ですが、健全なる人生観をきずくことがなによりも大切です。
(3) <いかに長寿するとも楽しみなれば生くるとも詮なし>
人間は動物を超えた存在である・・働いて食べて眠ってただ長生きするだけで人間は満足するものでしょうか。「食うために生きるのか」「生きるために食うのか」の課題を出すまでもなく、喜んで生き、楽しんで生きるところに人間の幸福があるのです。その上に長寿の人生があるならば言うことはありません。健康もその通りです。善人たらんと努力すれば必ずそれを手に入れることができます。
(4) <病気の味を知る者は健康の味を知る>
健康の有り難さは、病気をしてみて初めてわかるものです。人間はどうしても比べるものがなくてはその値打ちがわかりません。<病気は万病、健康は一つ>とのみおしえがありますが、病気にはそれぞれ個性があってその存在を痛感します。しかし健康な時は身体の存在を忘れるほど、外に意識を向けることができます。
それだけに健康の有り難さも忘れてしまいます。しかして病気の味を知らなければ健康の味はわかりません。いやそれどころか、神はよりすばらしい健康を実感させてやろうとして、病気を授けて下さっているのです。このような受けとめ方をするところに生きた信仰があります。
(5) <汝の病汝に聞け 汝の病の凡てを語らん>
御神尊様が病気の実態探究で目を向けられたのは、病気には個性があると言うことでした。
御神尊様は臨床体験のくりかえしの中から、同病者には似かよった性格性分のあることを発見され、病気は病人自身の性格が原因となって発生しているものであるとの結論に到達されました。
そして更に同病であっても症状に微妙な違いが現れ、結局、病人自身を知らずしては病気の根本原因は何もわかりません。しかも病人自身が自らを深く見つめ直せば、原因を発見するエネルギーとなって病気になる運命を根こそぎ開拓することができます。
(6) <百病気に依て生ず>
読んで字のごとく、気こそ病気の実態です。この気に対する正しい認識が、健康を生み出す鍵であります。
たとえば、色々な事柄を思ったり考えたりしている事が「心」で、〔思い方〕〔考え方〕の明暗、強弱、長短、硬軟が「気」です。ですから、思っている事は決して間違ってはいなくても、あまりに暗く堅ぐるしく考えて、悩みをつのらせ、それが身体上に表出して病的症状を見せているのです。しかして、この気の転換こそが病気を即決に治癒する要なのです。
(7) <血行気によって生ず>
血行はどちらの意見が正しいかで左右されるのではなく、気の持ち方で順調にも、不調にもなります。しかも血行は肉体の健康に直接影響をおよぼします。気の鍛錬に励みたいものです。
(8) <病気は悩みの収獲なり>
悩みは、心の状態だけでなく、呼吸、血行、脈拍、消化作用、排泄作用など、あらゆる肉体の状態をもって表現されます。
悩みを口に出して言葉で表現している間は、その悩みは大したものではありません。本当に悩んでいる時は「断腸の思い」というように肉体化現象をともないます。しかして、悩みを根本的に解消しなければ、病気を治すことはできません。
(9) <汝等速やかに悩みより去れ、然らざれば病は去らず>
悩みとは主観の世界ですから、人によって悩みの度合いが違います。悩んでいる事情の解決にばかり心を煩わせるのでなく、どんなことにも悩みをつのらせてしまう、心の弱さをこそ、解消しなければなりません。そのために信仰に縋り、心の修行に励むのです。
(10) <病根刈りて初めて病癒ゆ>
病根とは我執の念のことです。過去に囚われて不和対立の生活をすることが病の根本原因です。そのことごくが自己中心の念を原因としています。
どんな治療法より、我を張らない生活が、健康回復への道であります。
(11) <食物口より入りて胃に収まり腸に下りて血骨と化し、
不要物は排出されて生きるが如く在れ、
人の心汝の耳目より汝の理解の心に治まりよく理解消化されて汝の生命と化し、
不要の念は排出されてこそ汝の生涯や楽し>
以上の霊肉の相関関係を認識し、切り替えと理解の念をもって、いつも明るく、みんなと仲良く生活する、これこそ健康の秘訣です。
(12) <病気になった為不幸になったのではない、
不幸な日暮らしをしていたから自然病気になったのである>
不幸病気そして幸福健康はすべて自然現象であります。楽しかるべき人間関係を暗く悩ましくすれば自然に病気が発生してきます。
世間の人々は病気になったことを不幸だと思っていますが、善隣の道の因果の理法から見れば、切れて離れて暗い生活をしている、その状態こそが不幸なのです。病気を恐れるより、不幸な生活を恐れ、明るく楽しい愛の生活を信仰の力で確立しましょう。
>>>>> 次回は、「二.生命について 1.生命の業」です。 >>>>>
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