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みおしえ
7月 『神をよろこばせよ』
<神を喜ばせずして
神に喜ばせられんとするが如き
弱き信仰をする者の信仰は
おかげなくして憐れに終わる>
信仰する者は、神に助けてもらおう、神に喜ばせてもらおうと、単純に考える傾向がありますが、それは真の信仰ではありません。真の信仰とは、神を喜ばせることに努力精進することです。
それでは、神を喜ばせるにはどうすればよいのか。それは、人を導き助けることです。信仰なき人を御神尊様の御慈光(みひかり)が注がれる場へと導き、その御慈光を浴びて助かっていただくことです。
<人を導き 人を助けて
神を喜ばせんとする者 皆神に救わる>
これまでの信仰のあり方は、どうだったでしょうか。単に神に喜ばせてもらおうと考えていたならば、その考えを改め、今日からは、人を導き、人を助けて、神を喜ばせる人となることに信仰の誠を捧げていきましょう。
私たちは、御神尊様とご縁をいただき、<善隣の道>(みち)の実践に努力精進してきたおかげで、今の幸せがあります。ならば、神に喜んでもらおうと努力することが、信仰のすべてであると考え、積極的に神の御前(みまえ)に人を導くことに精進していただきたいものです。一人残らず神に救われることになっています。
それでは、なぜ御神尊様は「神を喜ばせる真の信仰者になれ」と諭されるのでしょうか。次の御教えから考えてみましょう。
<社会と人類に向かって慈愛の眼(まなこ)を輝かし
神に代わりて神の手となり足となり
精神的に人を助くる生きたる信仰に精進し
社会的救いに信仰の誠を発揮する者には
その居るところ 向かうところ
常に神の来りて助け給う 守護し給う>
信仰といえば、個人的な幸福を求め、不幸病気から逃れたい一心で神にすがり、神に喜ばせてもらおうとする傾向があります。
今、この御教えを読まれているあなたも、その傾向があるのではないでしょうか。
しかし、どれほどあなたが幸福を求めて、あなた一人が幸福になったとしても、社会に生きる全ての人が幸福になれないならば、あなた自身も決して幸福にはなれないのです。
今年は、「終戦70年」の年です。5月下旬に、私は唯一地上戦が繰り広げられた沖縄に行き、新宗連主催の「平和の巡礼」に参加しました。そして、各教団の代表者と偕に、犠牲となられた全ての御霊(みたま)に祈りを捧げました。
戦争によって得られるものは何もありません。命も、自然も、すべて奪われてしまう戦争の悲惨さを改めて実感し、そんな戦争を二度と繰り返してはならないと誓いました。
御神尊様は、「広島や長崎に投下された原子爆弾によって、世の中の善も悪も一緒に消えていった。このように人間の運命は、国家の運命・社会の運命とともにある」と諭されました。だからこそ、御教えに示されるように、<社会的救いに信仰の誠を発揮>することによって、社会全体が、つまり全人類が幸福にならない限り、個人的幸福は全く無意味だということです。
したがって私たち善隣信徒は、一日も早く個人的信仰から脱却し、日本だけでなく、世界全体を住みよくするために、先ずは毎日、人の幸せを願って祈り、争いのない平和な光明世界を実現するとに信仰の誠を捧げなければなりません。常に<慈愛の眼>を輝かせ、神の手足となって、精神的に人を助ける生きた信仰に励まなければなりません。
<善隣の道>を知り、『御聖経』を祈る私たちだからこそ、道を知らずに迷っている人を神の御前に導くことができます。そして、それが最も神を喜ばせる道だからこそ、神は常にあなたと偕に居てくださり、あなたを守護(まも)ってくださるのです。
人を導くのに迷いは禁物。御神尊様の力にすがり、神を喜ばせ、御教えの実践に精進しましょう。神の力と<善隣の道>の力を信じるあなたの力が一つになった時、必ず人を導くことができます。
<人を導き 人を助けんとするに
言葉で助け 話で助けんと思うこと勿れ>
この御教えは、人を導く上での大切な心構えです。
上辺だけの上手な言葉や話では、人を助けることはできません。ただ一途に、「あの人を何とか助けたい」と思う、止むに止まれぬ愛情と情熱が神の力と妙合して、人を助けられるのです。
<汝等今日より 神の子たるの自覚のもと
笑顔常楽(えがおじょうらく)こそ人を導き人を助くるの
原動力なりとの確信をもって
社会を見る眼を失わず
先ず一人を導き助けよ
一人の救いは世を救うに十分なり>
連日報道されるニュースには、眼を背けたくなるようなものばかりですが、神の愛を知り、<善隣の道>を知っていれば、どれはどの命が助けられたことでしょう。
<善隣の道>を信仰する者は、皆<神の子>です。<神の子>である自覚をもち、個人的信仰から脱却して、御神尊様の念願である「光明世界顕現」への布教伝導に立ち上がらねばなりません。
そのためには先ず、縁ある一人を導き助けることです。社会のためにと本気になって人助けに精進していれば、心にゆとりと幅が生まれるので、自ずと<笑顔常楽>の境地に立つことができます。この<笑顔常楽>こそ、人を導く原動力になるのです。
どんなに御教えが尊く、それを身につけていても、人を導き助け、神をよろこばせられないならば、信仰する意味がありません。
自らの力で<善隣の道>の実践に精進してきた皆さんならば、必ず人を導き、人を助け、神を喜ばせることができます。その貴重な信仰体験を生かして、一人でも多くの方が笑顔常楽の生活に勤しみ、平和で光明に満ちた世界を顕現できるよう精進し、御神尊様に、聖主様に、喜んでいただこうではありませんか。
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