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みおしえ
8月 『人間関係の調和』
〈人生に於て
人間関係の調和程 大切なものはない〉
人間の一生にとって最も大切にしなければならないのは、人との調和をはかることです。なぜなら、どれはどの地位や名誉や財産を得たとしても、人との調和をはかりきれなければ、人間としての本当の幸福を得ることができないからです。
〈人の恐るる不幸病気は
人間関係の調和を失い
すべての人と切れて離れて
襖悩(おうのう)の日暮らしをする処より生まれる〉
家庭生活や社会生活において、何らかの事情が発生した時、その事情に囚われ、互いに憎み合い、咎(とが)め合い、切れて離れた悩ましい生活をしていると、不幸病気が発生します。つまり、不幸病気は、人との調和を保てず、人と心が切れて離れて、悩み苦しむ心と生活から生まれるのです。
これまで、家族関係や社会での人間関係で、人と調和できずに悩んだことがあるとすれば、それはただ人との調和を忘れていたからに外なりません。
したがって、今すぐにそれを修復し、人と仲良く円満に、調和した関係になりさえすれば、必ず幸福健康になれるようになっています。
それでは、具体的に〈人間関係の調和〉とは、どういう事なのかを考えていきましょう。
〈夫婦生活の調和
親子生活の調和
家庭生活の調和
社会生活の調和〉
人間の運命に大きく影響しているのは、〈夫婦生活の調和〉〈親子生活の調和〉〈家庭生活の調和〉〈社会生活の調和〉の四つの調和です。それら四つの調和が保たれているか否かによって、運命は大きく変化していきます。
つまり、夫婦仲良く、親子仲良く、家族や社会のすべての人と仲良く円満な生活することが、運命を開いていく道なのです。
それなのに、つい夫婦親子が憎み合い、咎め合い、家庭生活を暗く悩ましいものにし、ひいては社会生活にまで影響を及ぼしていたのではないでしょうか。
それほど私たちは、簡単に人間関係の調和を失ってしまいます。というのも、取るに足らない一つの事情に囚われ、それに執着してしまうからです。この事情へのこだわり、囚われ心を捨てない限り、決して人間関係の調和を保つことはできません。
過去に言われた事や、された事に対する怒りや憎しみの感情をいつまでも持ち続けていれば、運命は好転していかないのです。
〈人間関係の調和されている処には
不幸病気は絶対に発生しない〉
御神尊様は、「何人(なんびと)といえども、人間関係の調和を生活の柱として生きていくならば、絶対に不幸病気にはならない」と御諭(みさと)しいただきます。〈絶対に〉と示されているのは、単に強調して説かれているのではなく、20年に及ぶ命がけの御行で大悟された真理であるため、絶対の確信があるからです。
〈絶対〉の二文字を信じて、今から〈人間関係の調和〉に信仰の誠を捧げ、すべての人と仲良く生活していきましょう。
ただ、どんなに信仰の誠を捧げて、人間関係を調和していこうと精進していても、すぐに人と切れて離れてしまい、神の慈悲を授かることができないのが、憐れな人間です。
それでは、どうすれば神の慈悲を授かることができるのでしょうか。次の御教えから、その秘法を掴みましょう。
〈無条件の調和は
幸福健康のための秘法極意である〉
毎日の生活では、様々な事情が発生します。この事情にどうしても囚われ、憎み咎めて悩んでしまうのが私たち人間です。
しかし、あれこれ考え、どんなに事情の解決に力を尽くしたとしても、その事情にいつまでも心を奪われ、悩み苦しんでいては、さらに心のシコリを大きくするばかりです。
人間にとっては、事情を解決していくことが大切かもしれませんが、神にとっては事情の解決など何の意味もなく、ただ人間同志が明るく楽しく調和されているかどうかが問題なのです。
つまり、神の慈悲を授かる秘法は、唯一つ。事情を無条件でかなぐり捨て、身も心もスッキリした状態で、家庭生活や社会生活の調和に全身全霊を傾けること。それが、誰もが幸福健康になれる最高の秘法極意なのです。
〈神は無条件の調和を実践する者にこそ
救いを垂れ給う〉
事情の解決に、どんなに心血を注いでも、神の救いを授かることはできません。事情そのものは、運命には何の影響も及ぼさず、事情に囚われ、憎み咎める心、そして人間関係の調和を失った生活が、運命を狂わしていくからです。
だからこそ、無条件に相手に合わせ、調和していかねばなりません。例えば、夫が愛してくれるから、その代わりに夫を愛しようというような取り引きする心ではなく、夫から愛されても愛されなくても、夫のことを思い愛して心を通わせていく。それが〈無条件の調和〉です。
〈無条件の調和〉こそ、神の救いを授かる実践の要なのです。
〈無条件の調和は
如何なる不幸病気も吹き祓(はら)う力を持っている〉
〈善隣の道〉の信仰は、様々な事情を解決することではありません。事情に囚われず、一切(すべて)の事情を捨てて、夫婦・親子・家庭・社会という人間関係の四つの調和に信仰の誠を捧げることです。
何のために祈るのか・・それは、我を出し、邪気を出して、人との調和を失ってしまう己の憐れさを反省し、「必ず人と仲良くします」と神に誓願し、無条件で人と調和していける実践力を授がるためです。
〈無条件の調和〉に精進し、一切の人と和して、どんな不幸病気も吹き払い、幸福健康の人生を歩もうではありませんか。
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