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みおしえ
9月 『和と愛に依る信仰』
今月は、〈和と愛に依る信仰〉の御教えによって、さらに家族愛を深め、住みよい家をつくり、住みよい社会をつくるためには、どう生きるべきかを考えていきたいと思います。
先ず、今月の御教えで大切なのは、〈依る〉の意味です。〈依る〉とは、「頼(たよ)る」「手段」という意味で、愛と和合を頼りにして、信仰を積み重ねていく大切さを説かれています。
つまり、愛と和合によって心と生活が変われば、我が家が変わり、ひいては世界が変わるということです。
それでは、御教えの本文に沿って考えていきましょう。
〈和合は神の本体にして 愛は和合の主なれば
愛と和合で信仰の真実を行け
神の御守護のあらざるなし〉
人と人とが仲良く心を合わせて生きる〈和合〉の姿は、まさに〈神の本体〉そのものであると説かれています。そして、〈和合〉の中心となるのが、〈愛〉の心です。だから、一人ひとりが〈愛〉の心を持たなければ、どうしても〈和合〉は成り立ちません。
なぜなら、相手を愛する心がなければ、相手と繋がることはできず、相手と繋がることができなければ、当然、和合することは不可能だからです。
したがって、愛の心で和合の生活に精進する信仰こそが〈信仰の真実〉であり、そのような信仰を積み重ねていくことで、神の御守護を授かるようになっているのです。
〈和の精神に欠けたる者は
神に遠く 人に遠く 幸いに遠くして
その生涯や常に暗く 常に悩まし〉
あなたは今、家族の誰かと背中合わせの生活をしていませんか。
親族や職場の人とはどうですか。
〈和合は神の本体〉なのですから、皆と仲良くしていこうとする〈和の精神〉が欠けていると、誰とか和合できず、人から遠ざかっていくので、自ずと神とも遠ざかってしまうことになります。
そうして、人のみならず神とも遠く離れて生きていると、本来〈神の子〉である人間の霊(たましい)は、どうしても喜びを感じることができません。暗く悩ましく、独り寂しい毎日に、幸せを感じることはできないのです。
〈神との和 人との和
信仰とは神に溶け込み 人に溶け込み
常に和の一点に生涯を献げ
常住 神に近寄らんとつとめ励むことなり〉
祈りを捧げ、神と繋がっていくのが〈神との和〉であるならば、和気あいあいと人と繋がっていくのが〈人との和〉です。
まさに信仰とは、神と和すために神に溶け込み、人と和すために人に溶け込むことに外なりません。
そして、神に溶け込むためには、ただ無心に祈りを捧げるしかなく、人に溶け込むためには、上辺や見かけで判断せず、先ずはその人のありのままを受け止めることが肝心になります。そうすれば、その人の本当の気持ちを理解できるようになり、自然に和合できるようになるのです。
また、自分白身も人から受け止めてもらえるような、優しい笑顔や言葉遣いに心がけることが大切です。人にばかり笑顔や優しい言葉を求めても、自分がそれを実践できなければ、人と和すことなど到底できるものではありません。
人がどんな状態であっても、常に深い愛を注いで和していけるよう自らを磨いていくこと。そうして、和合の本体である神に一歩でも近づこうと努力することこそ真の信仰であり、信仰あればこそ、広く深い愛を注ぐ人間になれるのです。
〈真の幸福は和の精神より生まる
真の健康は和の精神より生まる〉
真の幸福も、真の健康も、〈和の精神〉によって造られます。〈和の精神〉がなければ、誰とも和合することができないので、心に喜びが生まれません。喜びのない独り寂しい人生は、決して幸福とは言えないでしょう。
しかも、〈和の精神〉によって人と繋がり、心に幸せを感じるからこそ、身体もまた健康を保つことができます。
御神尊様は、「平戸50日御大行」の中で、誰とも会わない誰とも話さない「面会謝絶の行」に挑んで、嫌というほど孤独の寂しさに泣かれました。誰とも心を通わせない「孤独」こそ人間の最大の苦悩であることを悟られた御神尊様は、それまでの救済のあり方を深く反省され、「神さんはおらんとばい。神さんは人を愛する心の中におらすとばい」と佐賀弁で豪語されたのです。
いわゆる人間は、愛なくしては生きるに生きられない存在であり、愛とはまさに〈和の精神〉そのものだということです。
〈人間常に 善悪の中間にあり
人間常に 和と不和の中間にあり
人間常に 愛と不愛の中間にあり
人間常に 幸福と不幸の中間にあり
人間常に 健康と病気の中間にあり
故に人間常に 前後の如何なるかに眼を輝かし
事の善悪を弁え 和と愛に生涯を献げ
神に由らず 人に由らず 自ら我れを
神に最も近き処へ置かんとする事こそ
是れ信仰の道なりと知れ〉
人間の心は、その時の状況や相手によって、善になったり悪になったり、どちらかに定まることはありません。しかも、仲良くしていたかと思えば、たった一言で喧嘩になったりして、人間関係も常に不安定です。しかも、愛情を注ぐ時もあれば、冷たく避けたり怒鳴ったりして、愛と不愛の間を行ったり来たり。
また、幸福に甘んじていると、突然、不幸に遭遇したり、健康だからと楽しんでいると、知らず知らずのうちに病気になって、床に伏さなければならなくなったりと、いつどこでどうなるか分からないのが人間です。
だからこそ人間は、常に前後の状況をしっかりと把握し、事の善悪をよく見極めた上で、愛と和合に生きなければなりません。
その時、神まかせで、ただお願いするだけに止まらず、人まかせで、自らの努力を怠ることがないよう努めること。自分で自分を〈和合の本体〉である神から離れないよう近づいていくこと。つまり、神の愛に近づいていくことが、〈信仰の道〉なのです。
神に近づき、人に溶け込み、常に愛の一念をもって生き抜きましょう。必ず、和と愛に満ちた充実した人生になること間違いありません。
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