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みおしえ
10月 『寛容の精神』
皆さんが毎日、読誦している『御聖経』に示されている〈善隣の道〉こそは、まさに神の言葉であり、私たちを光明世界へと誘(いざな)っていただく尊い御教えです。
そこで今月は、〈寛容の精神〉の御教えから神の御精神(みこころ)を学び、その実践によって、明るい人生を切り拓いていただきたいと思います。
〈神は寛容者に対して 無条件に救いを垂れ給う
故に汝等今日より 寛容の人となり
善の道と幸いの道を行け〉
〈寛容〉とは、一言で言えば「心が広い」ということです。
どんな事も、どんな人も受け容れるような広い心を持った〈寛容者〉になった時、神は私たちを無条件に救っていただきます。
〈人間心は広くして狭し
人間身体は柔らかくして固し
人間生活は楽しくして悲し
人間人格は善人と悪人の混合態〉
人間ですから、時と場合によっては、心が広くなれる時もあれば狭くなる時もあり、身体もまた柔らかくなったり固くなったりします。生活も同様、楽しい時もあれば悲しい時もあります。
つまり、善なる部分と悪なる部分が混在している人間だからこそ、〈寛容の人〉となることが大切だと諭されるのです。
〈寛容の精神に富める者は 其の心広く
柔らかにして 楽しき生涯を全うすれど
寛容の精神に乏しき者は
その心狭く固くして 自ら己が生涯を苦しめる〉
身の回りに起こる様々な出来事は、〈寛容の人〉になるための修行に外なりません。したがって、様々な出来事が起きた時、それに囚われ、相手を責め咎めるような心が狭く〈寛容の精神〉に乏しい人は、生涯、その事情や相手に苦しめられます。
しかし、どんな事情に遭遇しても、広い心で受け止め、柔軟に対応できる〈寛容の精神〉に富める人は、いつまでも囚われることなく、誰とでも親しく仲良くできるので、自ずと楽しい人生を送れるようになるのです。
〈寛容者となるか ならざるかに依って
その人の運命自ずから決まる〉
自分の運命は、自分で切り拓いていくもの。その時、〈寛容者〉になるかならないかは、運命を切り拓く大きな鍵になります。
だから今、すべての人を受け容れる〈寛容者〉になるのだと、固く決意しましょう。先ずは、決意することが大事なのです。
それでは、〈寛容〉とは具体的にどういうことなのか。次の御教えから考えていきましょう。
〈寛容とは
寛大にして人を咎めず 人を憎まず
人の過ちを許して 人と離れず
常に 清濁合わせ呑むの気概を以て
融和融合の精神を失わず
寛容は 是れ善の初めにして
寛容をもって 常に善ならんとする者は
特善偽善の虜とならず その生涯に幸い多し〉
まさに〈寛容〉とは、広く大きな心をもって、すべての人を受け容れることに外なりません。
自分のことは棚に上げて、他人のことはよく見えるのが人間です。だから、人の嫌な面が見えると、その人の悪口ばかりを言ってしまいます。それでは、いつまでも幸せにはなれません。
「人は、それぞれ考えが違って当たり前。違うからこそ楽しい」と、違いを楽しめるような清濁合わせ呑む心になることです。そうして、どんな人とも心を通わせられるのが〈寛容〉であり、それが善人となるための最初の一歩なのです。
〈寛容の如何なるかを心得たる者は
小事にこだわらず 小事に囚われず
小事に悩まず
故に 自ら我れを苦しめる事なく
明朗心を失わず そのまま幸福の道を行く〉
どんな事情があっても、自分を苦しめているのは些細なこだわりであることに気づき、そのこだわりをサラリと流すことです。
そして、目の前の小さな事に囚われず、ただ、今生かされていることに感謝し、明るい心で生きていきましょう。
そのためにこそ、毎日の祈りで御神尊(かみ)の御慈光(みひかり)を授かるのです。
〈寛容の精神は 幸福健康の基礎にして
寛容の精神に欠けたる者は
幸福健康を求むるの資格なし〉
幸福健康になりたいのなら、〈寛容者〉になること。心に引っかかっている一切(いっさい)をかなぐり捨て、蟠りを取り除くことです。
人間は本来、〈寛容の精神〉を備えているものなのですが、何かにこだわり、囚われてしまうと、感情の虜となってしまいます。
だからこそ、信仰によって〈寛容の精神〉を培っていけるよう、努力し続けなければならないのです。
〈神は汝等の過去を問い給わず
神は唯 汝等の寛容者か否かを問い給い
寛容者に対しては その時その場に於て
無条件に即決の救いを垂れ給う〉
神は過去の一切を問題にされません。今、現在のあなたの心が寛容であるか、そうでないかを問われます。
つまり、今、この瞬間に〈寛容の精神〉を発揮することができれば、どんな事情であっても、その時その場で、即決に救ってくださるのが、神の大慈大愛なのです。
〈寛容者の生活
赦し合いの生活
助け合いの生活
譲り合いの生活
愛し合いの生活を
失わず 敵を造らず
自ら 幸いの道を行く〉
人間は皆、不完全な存在です。しかし、不完全だと分かってても、相手には完璧を求めてしまうのが人間です。
だからこそ、御教えのままの〈寛容者〉となり、赦し合い、助け合い、譲り合って、愛し合う生活を送ること。そうすれば、敵をつくることなく、幸福健康の人生が約束されます。
さらに、寛容さが失われている今の社会にも、あなたの〈寛容の精神〉を広めていただきますことを、心から願い祈ります。
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